本来、ウルトラのような怪獣譚はSFというカテゴリと融合させるのは実は難しく、まだまだ疑似科学性を重視していた当事のSF文学観が、生々しい生物の荒々しさを描くことを、第一条件にしていた怪獣ジャンルと物語的に融合するのは、かなりのテクニックとセンスを要求されていたのである。

『ウルトラマン』で物語基礎設定が、SF的に鮮やかさを放っていたエピソードは、その多くは飯島監督が先導して紡ぎ上げた物語に多い。

「怪獣達の弱肉強食の世界」が、SFというよりは秘境冒険綺譚を思わせた『怪獣無法地帯』と違い、本話はむしろ、その怪獣同士の野性味溢れる闘争絵巻が、ツイフォンという彗星がもたらした状況の一つとして、いうならば怪獣絵巻全体が狂言回しとして機能しているのだ。

怪獣という生態を、ある側面で土着的な存在として文明世界に引きずり出した、金城・円谷コンビとはまた違った手法で、飯島監督はSF的レトリックの流れの中で、怪獣を狂言回しとして機能させる作劇に長けていた。

「怪獣達が支配する世界に、迷い込んでしまった人類の脆弱性」が、裏テーマだった『怪獣無法地帯』とは違って、本話ではそこが雪景色の山奥であっても、主権と覇権は人類にあり、その、人類を地上の覇者たらしめた知能が、怪獣達を凌駕した形で君臨できる理由なのだと、それが今回は、明確な台詞を伴ったテーマとして、イデとアラシの会話で語られる。

ここもで飯島監督の主張は「人類は一度手に入れた、知性という林檎を捨てることは出来ず、加速し始めた科学や文明を随時検証しながら、正しく機能させていくしか生きる道はない」であり、それは、飯島的ジュヴナイルを成立させている基本要素であることは、屁製作品で最後の飯島ウルトラになった『ウルトラマンマックス』(2005年)での、人類とバルタン星人の邂逅と接触を描いた『ようこそ!地球へ』前後編でも一緒である。

また、飯島監督独特さで言えば、ツイフォン最接近時の市民の描写だろう。

ブルジョワらしいカップルの会話の後に、いかにもな職人気質の父とその息子を持ってくる辺りは、『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』(1973年)での三波伸介のキャラにも通じる、江戸っ子キャラクターが既に垣間見えて面白い。

筆者も江戸っ子なのでここはとても理解できるのだが、飯島監督も江戸っ子。

とかく地方出身者は東京の人間に対して「冷たい」「薄情」というレッテルを貼りたがり、それで東京と、そこに生まれ住んだ人間を理解した気になってしまうが、それは東京という街の、ある種の一面に過ぎない。

むしろ、東京出身者にとっては「江戸弁を撒き散らす、粋でイナセな親父」も、『ウルトラQ』(1966年)『SOS富士山』『帰ってきたウルトラマン』(1971年)『落日の決闘』マックスの『ようこそ!地球へ』で登場した、「田舎の朴訥とした駐在さん」も、どちらも等価な存在だったりもするのである。

飯島監督というと、どうしてもハリウッドセンスの、ドライでスピーディな演出を連想しがちだが『月曜日の男』(1963年)やウルトラなどでみせた、スタイリッシュな都会的で知的なセンスと共に、江戸落語に通じる人情喜劇の要素も、多分に持ち合わせていた辺りも忘れてはならない。

そしてその二種の要素は、決して相反する水と油ではなく、想像力の飛躍の極みにも似た、空想科学の物語をしっかりと描こうとするならば、人(の)情(の部分の)喜(びに直結する生理を)劇(として描く)も不可欠なのだと、そういった原理原則を、飯島演出は知り尽くしていて、それは巧みなカッティングによって、ありえない生物のありえない活躍と絡み合い、溶け合って世界観をかもし出していた。

一方、本話が初参加になった若槻氏にとっても、飯島監督とのコンビネーションは、未知のジャンルでシナリオを紡ぎだしていくにあたって、相当の刺激になったのだろうと思える。

若槻氏は、後に『ウルトラセブン』(1967年)『ザ☆ウルトラマン』(1979年)『スターウルフ』(1978年)など、円谷作品を中心に精力的に活動し、同時に(おそらく安藤達己監督らと共に)ピープロ『怪傑ライオン丸』(1972年)など、他社作品にも参加して、日本の特撮ドラマを支え続けた。

しかし、まず独創的なアイディアと驚きをもたらす設定が、重視されていた子ども向けSF番組において、初期の若槻氏に、飯島氏と本話が与えた影響は大きかったのではないだろうか?

飯島監督と若槻氏によって『怪獣無法地帯』を、換骨奪胎した上で加味された、本話ならではの要素は数々あるが、例えば、本話に登場した彗星怪獣ドラコの持つ「巨大な羽根を持った宇宙怪獣が、天体から直接地球に飛来する」というイメージは、若槻氏の『ウルトラセブン』『超兵器R1号』のギエロン星獣へと受け継がれたわけであり、そもそもの「地球と他天体が、どうすることもできない状況で衝突の危機を迎える」という基本骨子自体を、民族紛争や緊急避難の概念を持ち込んで描いたのが、同じセブンの『ダーク・ゾーン』だったのだろう。

若槻氏が「惑星同士の衝突」に、かなりの思い入れを持ったのだろうということは、第二期ウルトラ後半で『ウルトラマンレオ』(1974年)に復帰して描いた『決闘! レオ兄弟対ウルトラ兄弟』でも、地球とM78星雲との衝突危機を描いたことからも解る。

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